日本遺産
平成30年5月24日に広川町が日本遺産に認定されました。防災遺産が日本遺産に認定されるのは初のことです。
「百世の安堵」〜津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産〜
江戸時代末期、安政南海地震とそれによる津波が広川町(当時の広村)を襲いました。暗闇の中で村人を高台に避難させるため、濱口梧陵は大切な稲むらに火をつけて道しるべとし、多くの人たちを救いました。この出来事は「稲むらの火」として現在でも語り継がれています。
津波が去った後も、濱口梧陵は広村堤防の築造や家屋の新築、田畑の復旧などを私財を投じて行いました。中でも堤防の築造は濱口梧陵の最も大きな功績の一つで、津波防災だけでなく、村人の生活を含めた根本的な復興に貢献しました。「築堤の工を起して住民百世の安堵を図る」と、築堤への従事に対して日当を支払うことで職を与え、農具漁具を失った村人の失業を防いだのです。また、自ら結成した自警団「広村崇義団」も復興を支え、村人たちは一丸となって村の復興に当たりました。
安政南海地震から約90年後、昭和南海地震により再び津波が広川町を襲いました。しかし、濱口梧陵と村人たちが築いた広村堤防によって村は守られました。広川町では津波災害とその復興の歴史が息づいています。村人が避難した高台にある廣八幡神社では、防火訓練や避難訓練などが行われており、2013年4月には新しく避難所が完成しました。
今回町の構成文化財など26個が日本遺産に認定され、廣八幡神社にはそのうちの①廣八幡神社、②梧陵濱口君碑、③広村崇義団主意書が含まれています。
廣八幡神社にある日本遺産
関連項目
全国初の「防災遺産」のストーリーが「日本遺産」に認定されました。|広川町
浜口梧陵小伝 – 国立国会図書館デジタルコレクション