廣八幡宮みどころ紹介
境内案内図
①本殿 ⑪仮殿 社務所
②天神社 ⑫絵馬みくじ納所 お手洗い
③天神社拝殿 ⑬梧陵濱口君碑
④若宮社 ⑭法華経全部一字一石塔
⑤高良社 ⑮五島石・福石
⑥拝殿 ⑯大王松
⑦舞殿 ⑰ナギ(雄株)
⑧楼門 ⑱ナギ(雌株)
⑨御輿庫 ⑲廣八幡避難施設
⑩彌廣八幡神社
社殿等紹介
- 本殿
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三間社流造(さんげんしゃながれづくり)・檜皮葺(ひわだぶき)で、国の重要文化財に指定されています。建立年代は応永20年頃(室町時代)と考えられていて、蟇股(かえるまた)の彫刻は左右対称を守る優れた作品です。
- 天神社
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一間社春日造(いちげんしゃかすがづくり)・檜皮葺で、国の重要文化財に指定されています。建立年代は慶安5年(江戸時代)で、当時の特徴をよく示す建築様式です。庇の蟇股は、正面(唐獅子・画像左)と裏(画像右)で見え方が違う彫刻がされています。
- 若宮社・高良社
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本殿の両脇にある同規模・同形式の摂社です。どちらも隅木入春日造(いちげんしゃかすがづくり)・檜皮葺で、国の重要文化財に指定されています。建立年代は、若宮社は明応2年(室町時代)、高良社は文亀2年(室町時代)です。(画像は高良社)
- 拝殿
- 本殿の手前にある、参拝のための建物です。木造柿葺・入母屋造で、国の重要文化財に指定されています。また、天文16年、元亀4年の屋根上葺の棟札が残っていることから、建立年代は室町時代と考えられています。画像右は天神社拝殿です。
- 舞殿
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木造杮(こけら)葺・切妻造で県の重要文化財に指定されています。巫女舞(1月)、楽器演奏(7月・燈華祭)、田楽舞(9月・秋祭宵宮、10月・秋祭)などが行われます。画像右は歳旦祭での巫女舞の様子です。
- 楼門
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門にも様々な様式があり、2階造りで屋根のあるものが楼門です。廣八幡宮の楼門は木造本瓦葺・入母屋造で国の重要文化財に指定されています。建立年代は室町時代だと考えられていますが、鎌倉時代の特徴を示す部分もあり、以前何らかの形の門が存在していたという説があります。楼門前の社標の「廣八幡神社」は昭和3年、荒木貞夫によって書かれました。
- 南紀男山三彩狛犬
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県の文化財に指定されています。長さは、阿像は57cm、吽像は54cmで、高さはどちらも81cmです。前肢の突っ張り方、顔の方向など江戸時代の石造狛犬に数多く見られる形であり、黄・緑・紫・白釉薬の四種類を用いてあでやかに彩色されています。
神社建築豆知識
- 流造
- 流造とは神社の建築様式のことで、屋根が反っていて、その片側(正面にあたる屋根)が長く伸びているのが特徴です。特に、桁行が三間のものを三間社流造(さんげんしゃながれづくり)といい、廣八幡宮においては本殿がこれにあたります。
- 春日造
- 春日造も神社の建築様式の1つですが、流造と違い、正面から見て左右に屋根がついています。正面に庇があり、屋根が反っているのが特徴です。廣八幡宮では若宮社・高良社・天神社において用いられています。
- 蟇股
- 蟇股は本来、梁などの上で重さを支える役割をしますが、時代が進むごとに装飾としての役割が大きくなりました。時代による特徴をよく表していて、鎌倉・室町時代のものは素朴で、安土桃山時代以降は華やかなものが多くみられます。廣八幡宮では本殿奥中央の唐草リンドウ(画像左)と天神社の松竹梅(画像右)の蟇股が特徴的です。
濱口梧陵の功績を刻んだ碑
- 梧陵濱口君碑
- 津波から村人を救った広川町の偉人、濱口梧陵の功績を刻んだ碑です。勝海舟の題額(みだしの題)・撰文(文章を作り、述べること)で、濱口梧陵がどのような偉業を成し遂げたかについて記されています。
ここにも神様
廣八幡宮パワースポット
- 法華経全部一字一石塔 ~触れたところが治る!?~
- 「法華経」の書かれた石が埋められた上に建てられた塔です。「一字一石」とは、一つの石に一字ずつ経文が書かれたことを表しています。
塔の下部分の亀の、自分が治したいと思っている体の部分に触ると(例・頭痛なら亀の頭に触る)、そこが治ると言われています。
- 五島石・福石 ~福が訪れる石~
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「五島石」(画像右)は、江戸時代に広川町の姉妹町・九州五島列島奈良尾町(現在の新上五島町)へ出稼ぎに行った人たちが記念に持ち帰ったものと伝えられています。明治中期ごろまでは青年の力くらべにこの石が利用されました。「福石」(画像左)は、この石を持ち上げた人の記念として奉納されたもので、触ると福があると言われています。